「正しいことをしたはずなのに、なぜこんなにも息苦しいのだろう」──
チェンソーマン第2部を読み始めた瞬間、私はそんな感情に包まれました。
第1部が持っていた、暴力と欲望がむき出しになった疾走感。
それに比べて第2部は、あまりにも静かで、重く、居心地が悪い。
しかしその違和感こそが、この物語の核心です。
チェンソーマン第2部は、悪魔との戦いを描いた作品ではありません。
“戦争の時代”を生きる少年少女の感情が、どのように壊され、利用され、それでも生き延びていくのか──その記録なのです。
本記事では、チェンソーマン第2部に登場する新キャラクターたちを通して、
藤本タツキ先生が描こうとしている「戦争の構造」を読み解いていきます。
チェンソーマン第2部とは何が変わったのか?──「暴力の物語」から「戦争の物語」へ
チェンソーマン第1部は、非常に分かりやすい物語でした。
生きるため、欲望を満たすため、暴力を振るう。
そこには迷いよりも衝動がありました。
一方で第2部は、明らかに空気が違います。
戦闘はある。悪魔も出てくる。
それでも物語の中心にあるのは、「何が正しいのか分からないまま選択を迫られる感情」です。
これは偶然ではありません。
第2部は、暴力そのものではなく、暴力を生み続ける構造=戦争を描いているからです。
戦争とは、常に「正義」の顔をしています。
誰かを守るため、秩序のため、未来のため。
しかしその正義は、最も弱い存在から感情を奪っていきます。
第2部が静かで、息苦しく、評価が割れる理由。
それはこの物語が、読者に“考えさせる戦争”を強いているからなのです。
三鷹アサという主人公──“正しさ”に殺されかける少女
チェンソーマン第2部の主人公、三鷹アサ。
彼女は、いわゆる“好かれる主人公”ではありません。
空気を読めない。
不器用で、要領が悪く、言わなくていいことを言ってしまう。
結果として孤立し、クラスでも浮いた存在になります。
しかしアサの最大の特徴は、そこではありません。
彼女は「正しさ」を信じてしまう少女なのです。
・ルールは守るべき
・命は大切にすべき
・間違ったことはしてはいけない
一見すると、とても立派な価値観です。
けれど戦争の時代において、その価値観は最も脆い。
なぜなら戦争は、
正しさを理由に、他者を傷つけることを正当化する装置だからです。
アサは、自分が傷つくことよりも、
「自分が間違っているかもしれない」という恐怖に耐えられない。
その性質こそが、彼女を主人公に選んだ理由だと私は感じています。
「間違えたくない」という願いほど、人を追い詰めるものはありません。
ヨル(戦争の悪魔)が象徴するもの──戦争は「外」ではなく「内」にある
三鷹アサの前に現れる、戦争の悪魔・ヨル。
彼女は一見すると短気で粗暴、どこか滑稽な存在です。
しかしヨルの能力設定は、あまりにも残酷です。
「所有物への罪悪感が強いほど、強力な武器になる」
これは単なるバトルギミックではありません。
戦争というものの本質を、そのまま感情に置き換えた構造です。
戦争は、人の罪悪感を利用します。
守れなかった後悔、失った悲しみ、背負わされた責任。
そしてこう囁くのです。
「その痛みを、次の暴力に変えろ」と。
ヨルはアサを操ろうとしますが、完全には支配できません。
なぜならアサは、考え続けてしまうからです。
この不完全な共生関係こそが、第2部最大の緊張感であり、
チェンソーマン第2部が“戦争の物語”である証明なのです。
戦争は、悪魔の姿をして現れるとは限りません。
多くの場合、それは「あなたの中の正しさ」として現れます。
デンジはなぜ第2部で“浮いている”のか──英雄になってしまった少年の孤独
チェンソーマン第2部におけるデンジは、どこか居場所がありません。
彼は相変わらず欲望に正直で、単純で、分かりやすい少年です。
しかし決定的に違うのは、世界の側が彼を「英雄」にしてしまったことです。
チェンソーマンは恐怖され、称賛され、消費される存在になりました。
人々は彼の行動に意味を与え、象徴として扱います。
けれどデンジ自身は、何も変わっていません。
・女の子にモテたい
・普通の幸せがほしい
・誰かに必要とされたい
その等身大の欲望は、英雄という役割と致命的に噛み合いません。
だからこそデンジは、第2部で常に“ズレた存在”として描かれます。
三鷹アサとの関係性がうまくいかないのも、必然です。
アサは考えすぎる少女であり、デンジは考えないことで生き延びてきた少年だからです。
同じ傷を持ちながら、処理方法が正反対。
この断絶は、戦争の時代における世代間ギャップそのものでもあります。
英雄は、誰かの希望になる代わりに、自分の居場所を失います。
吉田ヒロフミという存在──“戦後”に適応した人間の不気味さ
吉田ヒロフミは、第2部において非常に重要な役割を担っています。
彼は感情をあまり表に出さず、常に状況を俯瞰して行動します。
一見すると有能で、頼れる存在です。
しかし彼の言動には、どこか冷たい違和感がつきまといます。
吉田は「戦争を経験したあとの世界」に適応してしまった人間です。
・危険を察知する力
・空気を読む能力
・感情を抑えて最適解を選ぶ判断力
これらはすべて、生き延びるために必要な資質です。
しかし同時に、人の痛みに鈍感になるための条件でもあります。
吉田がデンジに「普通の生活」を勧める場面は象徴的です。
それは善意であり、同時に押し付けでもある。
戦争の時代において、“正論”ほど人を追い詰めるものはありません。
なぜ第2部の新キャラたちは“少年少女”なのか
藤本タツキ先生は、なぜ再び若者を物語の中心に据えたのでしょうか。
それは、少年少女が最も戦争の影響を受けやすい存在だからです。
彼らはまだ世界を信じています。
正しさを疑いきれず、愛を簡単に手放せない。
だからこそ、戦争は彼らの感情を利用します。
罪悪感、正義感、恋心──すべてが武器になる。
チェンソーマン第2部の新キャラたちは、
戦争の被害者であり、同時に加害の可能性を背負わされた存在なのです。
チェンソーマン第2部は「感情の戦争記録」である
チェンソーマン第2部は、派手なバトル漫画ではありません。
これは、感情がどのように消耗され、武器にされ、それでも人が生きようとするかを描いた物語です。
三鷹アサの苦しさも、デンジの孤独も、吉田の不気味さも、
すべては“戦争が終わっていない世界”のリアルです。
読めば読むほど、心が少し痛くなる。
けれど目を背けられない。
その感情こそが、チェンソーマン第2部が今描かれるべき理由なのだと、私は思います。
FAQ|チェンソーマン第2部に関するよくある疑問
Q. チェンソーマン第2部はつまらないのでしょうか?
派手な展開を期待すると物足りなく感じるかもしれません。
しかし感情やテーマを重視する読者にとっては、非常に密度の高い物語です。
Q. 三鷹アサは嫌われキャラですか?
共感と反発を同時に生むキャラクターです。
それ自体が、彼女が「戦争の時代の主人公」である証明と言えます。
Q. ヨルはラスボスになりますか?
現時点では不明です。
ただしヨルは敵というより、「概念的存在」として描かれています。
情報ソース・参考資料
※本記事は原作漫画をもとにした考察記事です。
解釈には個人差があり、公式見解を断定するものではありません。
